2010年01月11日

出射暁子さんのお話をお聴きして

出射暁子さんのお話をお聴きして 持徳裕加
               
 2009年度総会後、交流会の講師として、福祉オンブズ香川の出射暁子さんのお話を伺うことができた。
 出射さんは、キャリアウーマンとしてバリバリと仕事をこなしながら、結婚、出産され忙しくも充実した日々を送られていた時、リウマチを罹患され車いす生活となられた。愛するわが子と別れ、たまも園に入所が決まったとき、お母様が泣きながら「施設に入ったら見ざる聞かざる言わざるを守らないいかんよ」と諭され、自分はなんて親不幸なんだと悲しまれたという。
 当時施設では、わがままを言わないのが良い障害者であるという考えがまかり通り、排泄介助も決められた時間があり、「トイレが終わりました」とお願いして「今私らコーヒー入れたとこやから、ちょっと待っとって」と底冷えのする便器の上で、長時間待たされることなど日常茶飯事であったそうだ。そのトイレ介助も本来は同性介助が基本となっては来ているが、当時、異性介助は当たり前だったそうだ。まだ20代で、今まで健常者として暮らしてきた出射さんにとって、羞恥心のあまり、胸がはりさけそうだったという。障害者に羞恥心などない、世話をしていただいているのだから、わがままをいうな!!というのが常識だったのだ。
 そんな絶望的な気持ちが少しずつ前向きになっていったのは、同じたまも園で暮らし、福祉オンブズを立ち上げ、障害者の権利について勉強を深めている仲間たちの存在だったという。「生きていくんやから、前向きに生きていこう。口がきけない仲間には、口がきける私らが、アドボカシー(代弁者)になろう。全国の仲間と協力してより人間らしい生活を追及していこう。」そう語りかける仲間たちに支えられ、出射さんは少しずつ元気を取り戻していったそうである。
 けれど、息子さんに会う自信はなかなか取り戻せず何年もかかったそうだ。「誰が何言うてもええやん、おかあさん、僕と一緒に三越に買い物行こう」と何年も辛抱強く待ち続けてくれた息子さんにやっと会えたとき、出射さんの中で、たくさんのわだかまりが吹っ切れたそうである。
 「施設暮しってほんま世間とずれとんです。」そう笑いながら話される出射さんは、ご両親の深い愛情を受けて自尊感情を育まれたからこそ、困難な状況の中、強くしなやかに生きてこられたのだと感じた。それが、幼くして離れて暮らすことを余儀なくされた息子さんが、出射さんを大切にされる姿につながっているのだと思った。


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Posted by あんしん、じしん、じゆう at 14:53 │CAP通信より

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